バベルの塔

(1)
男がすんでいる町のはずれに、小さな塔があった。

いつのころからか、その塔には数人の聖職者が住み始めた。
彼らは「自由」と「正義」以外に教義をもたない教団らしい。
町の何人かの人達は、彼らの教義に共感して聖職者の塔に入っていった。
その中に男の友人の姿もあった。

ある日、聖職者の塔から逃げ出してきた男の友人が、男の家に駆け込んだ。
「助かった。危うく処刑されるところだった。
今朝、私は台所にいた鼠がパンをかじっていたので叩き殺したのだが、
聖職者の塔の連中から、それは罪だと責め立てられたのだ。
無論、彼らに鼠を殺してはならぬというという教義はないのだが、
声の大きい者がその行為を非難すれば、たちどころに皆がその行為を責めはじめる。

弁明は難しい。長々と弁明すれば長すぎると言って聞きいれられず、
要点をしぼれば、言葉たらずで揚げ足をとられる。
とにかく聖職者の塔では、ひとたび口撃がはじまると、非難する側が絶対正義で
非難される側は反撃不能な弱者なのだ。」

(2)
ある日、男は自分の息子が聖職者の塔に通っている事を知った。
男は塔から戻ってきた息子を問い詰めたが、息子は自慢げに話をはじめた。
「おとうさん、聖職者の塔はすばらしいよ。みごとに正義が実現されている。
今日は、食器を落として割った者がひとり、地下牢に送られたよ。」
男は息子に言った。
「息子よ、お前も小さいころに何度も食器を落として割った事があるだろう。」
息子は笑いながら答えた。
「おとうさん、僕の失敗は過去のことです。今日の事と何の関係がありますか?
悪いことをして見つかった人が、皆の判断で裁かれた。それだけですよ。」
「それでも、食器を割ったことに対する罰として、牢に幽閉とはひどすぎるだろう」
「おとうさんのように彼をかばった人もいたけど、その人も牢に入ったよ。
お父さんも聖職者の塔で学ぶべきだよ。
聖職者の塔では、おとうさんのように皆の意見に反論する人はいない。」
「息子よ、それは違う。反論すれば牢屋に入れられるような所に、
反論する者が残るだろうか。
良識あるものは愛想をつかして離れてしまったのではないか?」
男の息子は机をたたいて椅子を立つと、家を出て行ってしまった。
「さようなら、おとうさん。
聖職者の塔にはおとうさんのように同調性の無い人はいないし、
お互いにわかりあえる仲間がいる。僕は聖職者の塔で、彼らと一緒に正義を追求します。」

(3)
男は息子を連れ戻すために何度か聖職者の塔に乗り込んだが、
すべて徒労に終わった。

聖職者の塔では、全員が顔の覆われた法衣を着ており誰が誰だかわからない。
聖職者たちは、はじめは男を快く迎え入れたのだが、男を敵とみなすや、
一斉に罵詈雑言を浴びせた。

男は顔の見えない聖職者たちに囲まれて責め立てられた。
男の反論は、そこにいる誰にも届かずにむなしく空を漂った。
中傷、嘲笑、恫喝。考えうるかぎりの負の感情と言葉が男に叩きつけられた。
男は「同じ言葉を話しているのに言葉が通じない絶望」に打ちひしがれて、
とうとう職者の塔には近づかなくなった。

日がたつにつれ、聖職者の塔には、若者を中心に多くの人が集まってきた。
塔は増設を続けてみるみるうちに高くなり、町全体を見下ろせるようにまでなった。

最近では、彼らは塔の上から不正義(と彼らが判断する)な行いを見つけると、
その者を聖職者の塔に引きずり込んで彼らの判断の元で断罪しているとの噂もある。

だが、町の大人たちの多くは、聖職者の塔の中で何が行われているかを知らない。
実状を知っているわずかな賢者は「おろかな連中なのだから、無視していれば害はない」という。

しかし、男は思った。

いつか、あの聖職者たちが町に出てきたときに、
言葉が通じない彼らと、どうやって一緒に暮らしていけばいいのかと。

聖職者があふれる町の中で、
はたして賢者たちは「無視していれば害がない」と言い続けることができるのだろうかと。