ピッピがピピピ

どこまでも真っ白な世界が広がっているだけ。

 

もう、周りにいるはずの友達の顔も、薄汚れた天井のシミもない。少し前の事だけど、鼻につっこまれた緑色のチューブがどうもうっとうしくて、でも自分の手はどうやら私の意志では動いてくれないので、口元をもごもごやっていたら、遠い親類のおばさんが「ああ、何か言おうとしてるわ」なんて見当違いの事を言ったせいで、家族が私に被いかぶさるように耳をそばだてるので、私もしかたなく「ありがとう」ってセリフをいかにも悲哀の満ちた声でつぶやくと、みんなこぞって、おうおうと嗚咽にも似た声を出して、泣いた。

 

でも、それも少し前の事。もう鼻の違和感もわからなくなった。

遠くのほうで、ピッ、ピッ、と小鳥が鳴いているような音が聞こえるけど、いやいや、あれは私を迎えにきた極楽鳥のさえずりじゃない。心拍計が、ピッ、ピッ、と私に残された時間を刻んでいるんだ。ピッ、ピッ、規則的に、機械的に。

 

まあ、いっか。いつかこういう日がくる事はわかっていたはず。

ここまで来て、後悔なんかしようものなら未練が残るだけ。もう後悔はない。

私よ、よくやった。歴史に残るような成功はなかったけど、それもよしとする。

平凡、普通なんていうとイヤミな響きが残るけど、結構楽しかったし。

そう。なんの後悔もない。

 

ピッ、ピッ、のリズムが、ピ、ピ、ピ、に変わった。ピッピがピ、ピ、ピ。

 

周りが騒がしくなってきた。ガサガサと音がして感覚がゆさゆさと揺れる。

誰かが私を揺すっているんだろうけど、真っ白な世界の中で、感覚だけが揺れるというのは、心地良いものじゃない。でも、音だけが残された私に「酔っちゃうよ、やめて」なんて、遺言を伝える事はできない。いや、たぶん口がきけても、私は言わないだろうけど。

 

私の最後の言葉はさっきの「ありがとう」。感動的な言葉。みんな泣いてくれたんだから。

それを「酔っちゃうよ、やめて」なんて、どこかの噺家が言うのならこれほど小粋な言葉はないと思うけど、それを小市民の私が言おうものなら後世までの笑い草。

「酔っちゃうよ、やめて」は、私の最後の言葉にはそぐわない。

 

ゆさゆさの揺れがとまった。誰かが「なんで、こんなにいい人が…」と、お座なりのセリフを、ああそうだ、この声は私の親友だ。親友なのに友の臨終の場に立っていう言葉がこれなんだ。なんて嫌な”親友”。私はこの人を親友などと思っていなかったけど、でも、周りの友達が「あなた達二人、いつも一緒にいていいなぁ。親友だね」なんて言うものだから、しかたなく離れられなかっただけ。

”親友”も”親友”で、いっしょにキャンプに行った時なんか「いつまでも親友でいようね」なんて、まるで友達どうしの会話とは思えないような、いってみればドラマのセリフのような言葉を私にくれた。あの場に英知の神でも同席していたなら、「君達、くだらない親友ゴッコはやめたまえ」とでも、警告してくれただろうけど、もちろん、友達同士のキャンプに英知の神なんか呼ぶわけがない。おかげで私たちの周りの友達は、なおも私たち二人に”親友どうし”のレッテルを貼って、その無責任なレッテルのおかげで、臨終のまぎわになっても私と”親友”は、くだらない芝居を続けている。これが親友なものか。

 

ほどなく、周りにあつまった親類の声も、”親友”の芝居じみた哀悼も聞こえなくなった。たぶんみんな黙りこんでいるわけじゃないんだろうけど、ただ、カウントダウンを続けるピ、ピ、ピの音だけが、かわりなく私の耳に入ってくる。ピッピが、私のすべての最後。この味気ない音が、私の最後の記憶かと思うと、さっきの”親友”が言ったセリフもなんだか、名残惜しいものに感じられてきて、そうすると、心の奥のほうから、ふわっと”親友”に対して、別の感情が湧き上がってきた。

 

ピ、ピ、ピのリズムが、ピピピ、に変わった。ピ、ピ、ピがピピピ。

 

いろんな時間を一緒に過ごした”親友”を悪く思うのもよくないかな。

平日にもかかわらずこうして来てくれたわけだし、私も日常においてそういう”フリ”で行動しちゃう事もある。

 

フリ。さっきもそう。親戚のおばさんから「何か言おうとしてるよ」なんて言われて、自分はただ鼻がむずがゆいだけなのに、「ありがとう」なんて言葉を、さも感動をさそうかのような声で言った。この世に残す最後の言葉がもうすでに演技。

私も”親友”と同じかな。親友っていうのは、一人では成立しない。

私は親友の片割れなんだ。

今考えると、ずいぶんとバカげた事をやってきたな。いつも知らず知らずの内に心の中でドラマ仕立てのストーリーを組み立ててたような気がする。そしてその通りに行動して。でも。他人を喜ばせる事はできても、自分はちっとも楽しくなかった。他人の視線で脚本を変えて、期待された感動に答えて、自分の本心はいつも胸にしまったまま。でも。

それでも、他人の気持ちを裏切るよりは、それが正しい事だと思ってた。

 

「いつのまに築いてた自分らしさの檻の中で、もがいてるなら…」

 

また、ふわっと。心の奥から。なんだろう。どこかの詩人の詩だったかな。

あの頃に聞いた、ただの歌謡曲だったかもしれない。ええい、どっちであっても、もう確認しようがないけど。そうだ。自分らしさの檻。うまい事を言ってるね。いつの間に築いてた自分らしさの檻。ああ。そうだ。あの頃は何の気にもとめなかった言葉だけど。こんな短い詩が、私の一生の全てを表している様な気がする。

もしかすると、どこかで私を見た人が、私のために書いた詩なのかもしれない。だったら、だったらその時、私の肩をゆすって言い聞かせてくれたらよかったのに。

 

ああ。 私は一生を檻の中で踊ってしまった。しかも当の私は自分が踊っている事など知りもしない。赤い靴をはいた少女のように、知らないうちに踊っていて、

そして気づいた時には、ピッピがピピピ。

 

いつごろから? あの頃から?

ある時は笑い。ある時は悲しみ。ある時は怒り。

でも、そのすべてが嘘?

私の人生のどこかで心の底から笑ったことは? 悲しんだことは? 怒ったことは?

 

いったい私は私の人生を誰の為に生きてきたんだろう?

 

あああ。すべてが。私が過ごした昨日までの記憶が色あせてゆく。

なぜ今になって。今ごろになって…

目も見えず、体も動かず、口も聞けず。そんな状態になった、今になって…

 

…明るくて、やさしくて。正義感があって、面白くて。責任感があって…

そんな言葉は欲しくなかった…

ただ、肩に手をあてて欲しかった…

誰か聞かせて欲しかった… 手遅れになるその前に…

 

ピピピ、のリズムがピーに変わった。

 

もしも神とか仏とか… いえ、悪魔でもかまわない…

このあわれな道化師の… 最後の願いを聞いてほしい…

まだやり直せるあの頃へ… ああ、あの頃に戻りたい…

もしあの頃に戻れたら… 今度は素直に…

 

 

 

気がつくと私はそこにいた。

ちょうど、どこかの誰かが書いた小説を読みおえた”あの頃”に…

 

ピッピがピピピでピー。