学生時代のメモより

「用は、何を残すかってことさ。血を残す? 思想を残す?
しかしそういったものは永遠じゃない。いづれ消えるものだ。
いづれ消えるのに、なぜ残すのか。」
その日の彼はいつになく雄弁だった。
いつもは、2,3杯飲むと悪口や会社への不満はでないものの
とりとめもない日常の喜怒哀楽を語って終電を向かえる彼が、
今日は、いやに理論的に(正確に言うと、理論的に聞こえるような
口調を演出している様にも見えるが)語りだした。
「俺が言いたいのは、なぜ残そうとするかってことだ。
血、つまり子孫だとか家族だとか、そういった動物的なものも
そうだし、そうじゃなかったとしても宗教、思想、芸術そういった
人間にしか理解しえないものにしても、いづれにしても
なぜ人はなにかを残そうとするんだと思う?」
「自分が死んで、何も残んないじゃ寂しいからじゃないかな」
「さびしい? 誰が?」
「そりゃ、自分だよ。せっかく生きて、何も残さなかったんじゃ、
生きた甲斐もないってなもんじゃないのかい?」
「なるほど。」
彼の「なるほど」は納得したときの返事ではない。
なるほどと相槌をうって、まず相手の口を封じておいて、
それから自分の考えを話す。いつものことだ。
そしてその言葉は、ひとつも「なるほど」ではない。つまり合意ではない。
納得の「なるほど」ではないのだ。
「2つだな。ひとつは、死んで何も残らないのは寂しいといったが、
死んでしまったら自分はいないわけだから、寂しくはないんじゃないか」
「たいした屁理屈だな。まあ、たしかにそうなんだけどね。でも、死ぬ直前に、
”ああ、俺は何も残せなかった”と思うと、なんだか寂しいだろう?」
「なにがさびしい? 死んでしまえば、何かを残そうと、残すまいと、
それは当人にとって関係のないことだろう。寂しがることなんかないさ」
「しかし、たとえば子供がいてだな。遺産のひとつでも、」
「俺には、子供はいない。」
「いや、おまえにはいないかもしれないが、まあ、聞け。子供がいたとして、
そのこどもに、家なり遺産なり残してあげられなかったら、そりゃ子供の
行く末を案じて寂しくもなるだろうよ。」
「行く末を案じる? つまり家なり遺産なりがないと、子供の将来が不安だって
ことかい?」
「たとえばだよ。子供がまだ3歳ぐらいだとするだろう。妻には先立たれて、
親族とも疎遠だとする。病院の一室で、看護婦さんが3歳の我が子を抱いてだよ、
”お父さん大丈夫だからね、がんばってるからね”とかなんとかいいながら、
あやしてるわけだよ。しかし、とうのお父さん、つまり自分はもう往生際だ。
そうなると、その3歳の子がだよ。自分がいなくなれば施設に入れられるか、
遠い親戚に引き取られて、肩身の狭い思いをするか。そんなことを考えたら、
寂しくもなるだろうよ」
「つまり、自分の子がまっとうに幸せに生きられないかもしれないことを
嘆き悲しむわけだな」
「まあそうだな。」
「自分の子供には、子供をつくって幸せに生きてほしいわけだな」
「そりゃそうだろう。子供の不幸を願う親がどこにいる」
「ふむ。しかし、その我が子は子供をつくらないかもしれないぜ。かりに子供を
つくったとして、その子供の子供はどうだ? その子供の子供の、ずっと先に行った
ところで、科学が正しいのなら何億年か後には、地球ごと太陽に飲み込まれて
なくなることになっているんだ。」
「まあ、何億年後にはそうなるかもしれないが、そんな未来のことはどうだっていいんだ。
自分の子供と、その子供ぐらいまでだろうな。その子供の子供も、幸せでいてくれれば
それに越したことはないが、そこまではちょっと想像できないから、まあ子供と孫ぐらい
までが幸せに生きられればそれで満足だな」
「さっきの、3歳の子供の話だがな、たとえば施設に入るだとか遠い親戚に引き取られる
だとか言ってたが、それでも子供が幸せになれればそれでいいということにはならないかい。」
「それで幸せになれればいいけどね。でも、大体にしてそういう環境で育った子供は、
将来ぐれたりだとか、たいした職につけづに苦労したりとかするもんだからね」
「なるほどね。」
二度目の「なるほど」を言うと彼は、銚子の日本酒をズズとすすった。
僕から目を離して、カウンターに暖簾のように下がっている品書きを
ぼんやりと見ている。彼が何かを考えるときの癖だ。
「ということは、つまりきみは将来ぐれたり、たいした職につけづに苦労したりすることは
幸せじゃないといいたいわけかい」
「一般的に言って、幸せじゃないんじゃないかな」
「幸せというのは、一般的な定義ができるものなのかい」
「まあ、いくらか金があって家族があって、休日はのんびりくらせるようなのが
幸せだったりするんじゃないかな」
「金があまりなくて家族がなくて、休日はあくせく働くのは不幸せってことだな」
「一般的にはそうなんじゃないかな」
「つまり、幸せの要素は、金と家族と余暇ということだな」
「それも幸せを構成する一つの要素ってことだよ。ほかにもあるかもね」
「まあいい。それで、どうして金が幸せなんだい」
「泥臭い言い方になるけど、金があれば物が買えるだろう。好きなものが食えるし、
楽できる」
「ということは欲しいものを手にいれて、食べたいものを食べて、楽をすることが
幸せってことだな」
「しあわせだろう! それのどこが幸せじゃないっていうんだ!」
「僕は、それが幸せじゃないとは言ってないよ」
「いかにもそう言いた気に聞こえるけどね。幸せだと思うよ。欲しいものを手にいれて
食べたいものを食べて、楽できるんだから」
「その三つは、厳密には一つだね。つまり、欲望を満たすってことにおいて」
「そうだね。聞こえは悪いけど、そうだよ。欲望を満たすことが幸せだよ」
「君の上げた以外にも欲望はあるだろう。たとえば、睡眠欲、性欲、探求欲、知識欲」
「あるだろうね。数えればきりがないだろうね」
「それらの欲を満たすこともやはり幸せかい」
「幸せなんじゃないかな。人によると思うけど」
「ふむ。人によってその欲が満たされることにより幸せに感じたり、感じなかったり
するということだな」
「そうだろうね。人それぞれだから」
「相反する欲にたいして幸せを覚える事も認められるわけだね」
「は?」
「たとえば、物が欲しくない。食べたくない。楽をしたくない」
「屁理屈だね。理屈はそうだけど、そんなやつはいないよ。大体、食べたくないなんて
言うやつは、生きていけないじゃないか」
「生きたくない。それが幸せだという人は。」
「そんなやつは勝手に死んでしまえ。俺はしらない」
「君が死ぬ直前に残した3歳の子供がそれを幸せだと思うとしたら?」
「そんなの知らねえよ。勝手に死ねばいいだろう」
「さっき、君は自分の子供の幸せを望むと言ったね」
「ああ、言ったよ。だけど、死ぬのが幸せなんてことはない。それは間違いだろう」
「幸せは欲望を満たすことじゃなかったかい」
「死にたいなんて欲望が、、、まああるかもしれないけど、死んだらおしまいだろう。
死んだら何もできないんだ。死んじゃおしまいだよ。」
「何もって、何ができないんだい」
「何でもだよ。飲んだり、食べたり、こうやって話したり、息したり、寝たりそういう
全部ができないだろ」
「どうしてそういうことをやる必要があるんだい?」
「は?」
「飲んだり、食べたり、話したりっていうのは、生きているからするけど、
死んでしまえばする必要がないだろう。なぜそれらをするんだい?」
「飲んだり、食べたりでおいしいだろ。話したりすれば楽しいだろ。だからだよ。」
「つまり、おいしかったり、楽しかったりするから生きるってことだな」
「そうだよ。おいしく楽しく生きるんだよ」
「ということは、死ぬとおいしいものも食べられないし、楽しいこともできないから
死ぬのは幸せではないと」
「そのとおり。やっとわかった?」
「幸せは、おいしいものをたべたり、楽しかったり、欲望をみたしたりすることである、と」
「そうそう」
「そして、人はたくさんの幸せを味わって、いづれ死ぬと」
「そう。いづれはね。だから死ぬ前にたくさん幸せを味わうと」
「そして、死ぬときに何を残して死ぬと。残さないのは寂しいと」
「そう。子供に家とか遺産とか残して、安心して幸せに死ねるというわけだ」
「しかし、その子供は、はたして子供をつくるかわからないし、残したところで、
そのずっと先には太陽に飲み込まれる存在なのだけど、それでも自分の子供と、
その子供、つまり孫ぐらいまでは幸せでいてほしいと願うわけだ」
「まあ、そうだね。」